研究活動を始めて自分の身に起こったいくつかの変化
おけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
さて、今回のテーマは「研究ばかりしているとつまらない人間になってしまうのではないか」というものです。
昨年は研究論文の執筆を初めて行いました。それを通して自分がどのように変わってしまったかを箇条書きにしてまとめていきたいと思います。
その1 物事の”定義”にこだわるようになった
友人と会話をしているときに意味に幅のある単語を使われたときに、
(それ、どういう定義で使ってるの?)
と思うようになりました。
もちろん、思うだけで指摘はしません。
また、書籍などを読んでいるときに、専門用語を定義せずになんとなく使用しているのを見るとなんだか不安になります。
以前はそんなことまったくなかったのですが…。
その2 テレビのバラエティー番組が面白くなくなった
以前は割と楽しく見ることができていたのですが、テレビのバラエティー番組が楽しくなくなってしまいました。
特に「お馬鹿芸人が、解答を間違えてみんなが笑う番組」はもうホント見る意味がないような気がしています。
その3 以前と比べ小説を読まなくなった
恐らく「小説読んでる暇があったら、教科書とか論文とか読め。そして研究しろ。」という心理が働いてしまっているのではないかと考えられます。
心行くまでゆっくり小説読みたい…。
その4 「要は何?」と思うことが増えた。
のんびり流暢な説明を見たり聞いたりすると、
「完結に言うと何なんだ?むしろ一言で説明してくれ!」
と思うようになりました。
修飾語はできるだけ取っ払ってほしいと思う今日この頃です。
その5 論理に断絶や飛躍があると不安になる
「○○だから□□だよね!」
などと言われたとき、
「それ、○○から□□は言えないんじゃない!?」
「というか、前後の文脈がつながってないよ!?」
などの突っ込みを入れたくなってしまうことが多くなりました。
以前はまったくそんなこと気にならなかったのですが…
つまらない人間になるのを食い止めろ
どうすれば、以前のテキトーだった自分を取り戻せるのか考えてみようと思います。その前に、どうしてこんなんになっちゃったのかを振り返ってみたいと思います。
一般的な社会科学系の研究のおおまかな流れとしては
- 研究のテーマ設定
- 調査(業者との打ち合わせ・アンケート実施など)
- 分析
- 考察
- 論文化
という感じす。
なかでも自身に悪(?)影響を与えたと考えられるのは
研究のテーマ設定・分析・考察
あたりです。
研究のテーマ設定では、とにかく多くの論文を読み自分の研究の枠組みを作っていきます。ここで熱中しすぎると定義大好き人間になってしまいます。
分析では収集したデータがどのようなことを表しているかということを考えます。ここでも熱中しすぎると論理大好き人間になってしまいます。なぜかというと分析において、データから言えないことを言うのはご法度だからです。「このようなデータはこうだ」というような論理のつながりは絶対なのです。
考察では最終的な結論が必要です。今までの分析結果から必要十分なことだけを取り出して、考えを述べていきます。ここでは、無駄にグダグダと文を書くことはできません。なぜなら、他の研究者の貴重な研究時間を奪ってしまうからです。そうです、完結大好き人間のできあがりです。
恐らく、研究のここらへんで公私混同してしまうとつまらない、いわゆる堅物な人になってしまうような気がするので、研究活動を行う際はみなさんご注意を。
※注記
博士課程の方などでも、ときどきツイッターなどで訳の分からない(面白い)発言をたくさんする人を見かけます。きっと疲れすぎているのだと思います。あまり無理をなさらず、お身体にお気をつけください。